キノコノコのハンドメイド販売ブログ

ゲイが伝えたいどうでもいいハンドメイドと日常の話。

昔遊んだポケモンごっこをポケモンGOが思い出させた。

今日は久しぶりにハンドメイドとは関係ないお話を。

 

私たちが小さかったころ。

近所へポケモン探しの旅に出かけたことは無かっただろうか。

現実にポケモンがいないことは、小さいながらに分かっていた。

だけどもしかしたら、どこかにピカチュウが隠れているかもしれない。

あの草むらの中にフシギダネがいるかもしれない。

キャップをかぶって、水筒をぶら下げて、

私たちは放課後や休みの日に、近くの神社や公園にポケモン探しの旅に出た。

 

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それでもやっぱりポケモンは見つからなくて、結局は自分達でポケモンごっこをして遊ぶのだ。

 

誰かがポケモントレーナーをやる。

また違う誰かがポケモン役をやる。

 

「フシギダネ、つるのむち!」なんて言って。

「ダネダネ〜」なんて言っちゃって。

手をムチに見立てて相手のポケモン役の子に襲いかかるんだけど、間違えて目とか変なところに手を当てちゃって、相手の子泣いちゃって、自分もどうしていいか分からなくて、自分も泣いちゃって。

終いには全員で泣いて「ごめんね」って仲直りするの。

 

そしてみんなトレーナー役やピカチュウ役ををやりたがったから、結局最後はごちゃごちゃになって、ルールなんてほぼ存在しない遊びだった。

でも今でも覚えているぐらい、楽しくて夢中になった遊びだった。 

 

ポケモンはそれまでのキャラクターが持っていたジェンダー的要素が非常に薄れたコンテンツだったと思う。

 

ある一定の年齢を過ぎると、男女で好きになってもいいキャラクターが決められてしまう。

だけどポケモンは男女関係なく好きになってもいいキャラクターだった。

 

ウルトラマンが好きな男の子も、セーラームーンが好きだった女の子も、誰もがポケモンを好きになった。

そこには男の子らしさも女の子らしさもほとんど介在しない。

 

私はセーラームーンが好きな男の子だったけど、ポケモンも大好きだった。

初めて男の子と同じキャラクターを好きになれた。

男女で共通のキャラクターを話題にして話すこともできたし、遊ぶこともできたの。

ポケモンの担ってきた役割って子どもにとって本当に大きかったと思う。

だからこそ、今もポケモンの人気は不動なんだと思う。

 

私は毎年夏休みの期間に学童保育のお手伝いをしているんだけど、今も子供達のポケモン人気は凄まじい。

しかも休み時間に見るDVDがポケモン映画の第1作「ミュウツーの逆襲」だったりするからびっくりする。

「この映画は先生が小学校低学年ぐらいの時に公開したんだよ〜」って子どもたちに話すとみんな顔をポカーンとする。(先生にも小さい頃があったのよ!

 

Pokemon Go は私たちが小さいころ夢中になって遊んだポケモンごっこを思い起こさせる。

草むらにフシギダネが出てきた。

道端にコラッタが出てきた。

神社の境内からポッポが現れた。

小さいころに思い描いていた願望が、小さな画面の中で現実として現れる。

あの期待を胸にいただいて、暑い中走り回った記憶を蘇らせてくれた。 

 

ただ昔と違うのは、誰もポケモン役をやらなくて良くて、みんながポケモントレーナーだ。

もちろんジェンダーバイアスも無い。男女関係なく全ての人が遊べる。

 

 

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私の住んでいるところは田舎だから、近所でも15分ほど歩かないとポケストップもジムにも巡り合えない。

ただ、近所で一番近いポケストップがなんと、昔みんなでよくポケモン探しやポケモンごっこをして遊んだ小さな神社だったのには驚いた。

一昨日の夜、妹とコンビニに行くついでに、その神社にポケモンを探しに寄ってきたの。

 

そしたら3人の同級生と鉢合わせてまたまたびっくり。

その子たちとその昔、ポケモンごっこをして遊んだかは覚えていないけれど、とっても懐かしい再会だった。

小さいころ一緒に夢見たポケモントレーナーとの再会だった。

 

あぁ、こうやって小さい頃遊んだポケモンが今の時代にもう一度蘇る。

これってただただ本当に、素敵なことだなぁって感じたの。

 

大人になると、小さい頃の友達とは同窓会や飲み会でしか再会しないことが多いけど、こうやってポケモンが違う形で再会させてくれた。

 

大人になった私たちがポケモンで遊ぶのも悪いことじゃ無いよね。(マナーは守ってね。

 

「これからバトル機能や交換機能が装備されたらもっと楽しいよね〜!」なんて同級生と1時間ほど話しながら遊び、また再開を約束して、家路に着いた。